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木村魚拓の結婚相手は?夫婦仲が良い?ポコ美と共演NGは本当だった!
木村魚拓のwiki風プロフィール!本名は?
ライター名 | 木村魚拓 |
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本名 | 木村智則 |
生年月日 | 1972年1月21日 |
年齢 | 47歳 |
所属雑誌 | 元パチスロ必勝ガイド |
木村魚拓がパチスロライターになった経緯
ライターになる前はビール会社の営業をやっていたそうです。
パチスロ必勝ガイドのライター面接時「ういち」と同じ日に面接したそうです。
その時の面接官は「ルーキー酒井」 先に木村魚拓が面接した時に、強烈なインパクトを残したためライターに決まり、後に面接を受けた「ういち」が編集に回ったそうですね。
木村魚拓のパチスロライターの初仕事は?
初仕事はデータ取りで「コホ」と一緒にパイオニアから出ているスロット台「パラディ」だったそうです。
BARが見えなくてコホさんに押してもらっていたそうですね。
面接時に当時のパチスロ必勝ガイド編集部員の下出さんに「スープラのベル見える?」と聞かれたそうですが、そんなの見える人間がいないと思っていたため、面白い冗談を言う人だなーと思っていたみたいですね!
それくらい木村魚拓の技術レベルは低かったみたいです。
木村魚拓のライターレベルが酷かった?
「ワニが揃ったわーいわーい」という文章を書いたそうで、めちゃくちゃバカにされたそうですね。
当時は手書きで記事を書いていたそうですが「編集の人が手書きを打ち込むのが手間だからそろそろワープロなりパソコンを買ってくれ」と嫌味を言われたりと、ダメ出しばっかりされていたそうです。
木村魚拓の黄金時代!ライティングレベルが上がる!
あまりにもライティングが酷かったため、約1年間ほとんど仕事を振られなかったことがあるそうです。
それから、パチスロ必勝ガイドのディテールなどがわかるようになってからライティングのレベルが格段に上がったそうですね。
起承転結があり、中落ちや大落ちなどしっかり組み立てられている落語のようだと言われています。
ちなみに、今のパチスロ必勝ガイドの機種モノページの文章の基礎は木村魚拓が作りあげた見たいですね!
木村魚拓が初めて打ったパチスロ台は?
最初はスロットでは無くて、パチンコをメインに打っていたそうです。
友達からスーパープラネットが面白いよ!と勧められて、20歳の頃に初めてスロットを打ったそうですが、ハマることは無かったそうですね。
成人式終わりに、車で事故を起こしてお金が必要になり「スロットで稼ぐしかない」と思い、その月に50万円稼いだそう。
木村魚拓はポコ美に共演NGにされていた!
木村魚拓は「ポコ美」に何度も共演願いを出していたそうですが、共演することがありませんでした。実は共演NGにしていたと後にポコ美さんが公言していましたね!
しかしここ最近「木村魚拓の窓際の向こうに」で共演して話題になりました!
木村魚拓のスケジュールは?休みはある?
現在は、月に1度も休みが無いそうです。 1日に2〜3つの仕事をこなしたこともあるそうです。
木村魚拓の年収は?年間収支は?
木村魚拓の年収はパチンコ・パチスロ業界でもトップクラスと言われています。
よく言われているのが1億円ですが、これくらいはもらっていると思います。
また、年間収支は圧倒的マイナスだそうです。