目次
ヒロシヤングの年収は会社の社長?スケジュールは未公開?
ヒロシヤングのwiki風プロフィール
ライター名 | ヒロシ・ヤング |
---|---|
本名 | 住田 浩志(すみだ ひろし) |
生年月日 | 1967年8月30日 |
年齢 | 51歳 |
所属 | (有)ゼイドンノウ代表取締役 |
ヒロシ・ヤングがパチンコ業界に入った経緯
「大崎一万発」と同じ早稲田大学卒業で有名ですね!
ただ、ヒロシヤングは1浪して早稲田大学のため、年齢はヒロシヤングの方が1つ上だそうです。 その後のヤングさんは2年間留年し、一方の大崎一万発はストレートで卒業。
大学卒業後は、半年間ブラブラしてから2ヶ月間イギリスに行ってサッカーのクラブチーム「マンチェスターU」の試合を観に行ってたそうですね。
日本に戻ってからは、開店プロのようなことをしていたら、高田馬場にあった「USA」というパチンコ屋で、偶然にも大崎一万発に遭遇し、そこでガイドの対談企画に呼ばれることになったそうですね!
「BABA Signal」というバンドのギター&ボーカルをやっていたそうですが、その時の名前である「花畑Q太郎」をライター名として使ったそうです。
その後は開店プロとして生活していたところ「CARトップ」の版元が「パチンコトップ」という雑誌を作りたいから編集をやってくれ!と頼まれたことをキッカケに「グレート巨砲」に原稿を頼んだりと幅広いライターとそこで交流が生まれたそうですね。
しかしその雑誌が長く保たずに廃刊。後に、新雑誌を立ち上げるも直ぐに廃刊。また、新しい雑誌を作る・・・ということが続いたらしいですが、雑誌が売れないからこれまでのお給料が払えないことになり、お詫びということで新しく仕事が決まったスカパーの仕事をもらったそうです。
それがパチテレになる前のビックチャンネルだったそうでチェッカーズの人と新台情報を伝える番組だったそうですね。
そこから映像系の仕事に携わることがメインになってきたそうです。
ヒロシ・ヤングが会社を起した理由は?
映像制作プロダクション(有)ゼイドンノウの代表取締役ですが、パチテレの社長にやりたい企画があるから作らせてくれとお願いしたところ「法人登録してくれないと取引きできない」と言われて法人登録したみたいですね。
ゼイドンノウの意味は「They don’t know」という曲から取ったそうです。
ヒロシ・ヤングのライター名の由来は?
スカパーチャンネルに出始めてからヒロシヤングを名乗るようになっそう。
ヒロシヤングの由来はカナダのロックスター「ニール・ヤング」からもじって作ったライター名みたいですね!
ちなみに、そこに行き着くまでに下記のライター名を使ったそうです。
- 花畑Q太郎
- ボ・地鶏
- 大関プロ
ヒロシ・ヤングのヒゲは罰ゲーム?
一時期、ヒロシヤングはヒゲを伸ばしていましたが、これはジャンバリTVの対決企画の中で、「ういち」に負けたことによる罰ゲームだったようです。
ただ、結婚式があり予定よりも早く剃ってしまったみたいですね。
ヒロシ・ヤングのスケジュールは?
告知するのが面倒のため、基本的にはスケジュールを公開していないみたいですね!